暮らしを抱き締める。

人って、暮らしを犠牲にして何かを頑張る生き物ですよね。

暮らしって、犠牲にしていいものなのかな。

私は犠牲にしたくないのです。

 

 

私の"暮らし愛"

今日、久しぶりに暮らしを整えました。

自分の暮らしを犠牲にしないと決めていたのに、

それが少し崩れかけていたから。

 

徹底的に、暮らしとデートするような、そんな感じ。

そう、私は暮らしが大好きです。

 

東京には、仕事が忙しいことを理由に暮らしを犠牲にしている人がわんさか。

私もその渦の中に入って、本当に大切なことを見失いました。

 

自然が豊かな場所で生きていれば見失うことはないと思っていたそれを、

無意識のうちに見失いかけていることに気が付きました。

社会の中で生きている限り、気をつけないと。

 

なんとなくモヤモヤしたり、

どうしたらいいか分からなくなったり、

正解を求めてしまったりするときは、

暮らしが乱れている証拠。

ちゃんと整えると、暮らしが味方してくれて、自ずと進むべき道が見えてきます。

 

だから、みんなちゃんと整えればいいのにー。

って、私はいつも思うんです。

 5分でもいいので、立ち止まって、家からの景色を楽しんでみるところから始めてみませんか。

こんな風に。

 

f:id:ammmi:20170802202149j:image

海が見える。

空は広い。

人の暮らしを感じる。

気持ちが、いい。とても。

 

 

暮らしを整えて見えた"幸せな地域おこし"

過疎高齢化が進んでいる地域にある問題は、

大元を辿っていけばどんな問題でも必ず"人が足りない"に行き着きます。

 

「誰かがやらないといけないんだから、誰もやらないなら自分がやらないと。」

責任感のある人は、そうやって自己犠牲を払って背追い込んでしまうでしょう。

 

「人が少ないんだから、気が合わない人とも協力しないと。」

優しい人は、そうやって本当の自分を隠して壊して我慢を溜め込んでしまうでしょう。

 

今までの時代の流れがそうだったから、

それが正しい考え方なのだろうという思い込み。

でも、現実を見てみたらどうだろう?

そんな時代が生んだ社会は、果たして幸せだと言えるのでしょうか?

…残念ながら、私にはそうは見えません。

 

【自分を犠牲にしてまでやらないといけないことなんてない。

自己犠牲が伴う行為は、誰のことも幸せにしないから。】

 

【自分を偽ってまで付き合わないといけない人なんていない。

お互いの中に我慢が溜め込まれることは、まったくもって健全じゃないから。】

 

私が大都会東京で気がついたその真理は、

人が足りていないと言われる社会であろうとも、変わりません。

人が少ないことを理由にその真理をねじ曲げようとするから、

おかしなことになってしまうのです。

 

ひとりひとりが、自分のやりたいことをやって、一緒にいたい人といればいい。

そして、ひとりひとりが、自分の幸せを追求していけばいい。

 

地域おこしとは、地域が幸せになることです。

幸せな場所には、幸せな人が集まってもっと幸せになる。

類は友を呼んで、幸せは幸せを呼ぶから。

キレイゴトなんかじゃない。 

 

みんなが幸せになるための道のりは、

一見遠回りに見える"ひとりひとりの意識改革"が、近道なのです。

 

おわり。